2009年1月9日金曜日

白洲次郎はぶれない男

昭和の鞍馬天狗

 アラカン⇒鞍馬天狗⇒白洲次郎という連想である。

 「昭和の鞍馬天狗」といわれた白洲次郎とその夫人、白洲正子の足跡を辿る展覧会にぶらり寄って来た。横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6階)で「迷わぬ、ふたり。白洲次郎と白洲正子展」(1月22日まで開催)を観た。
 終戦後の占領下で吉田茂の側近として連合軍総司令部(GHQ)との折衝に当り、日本の復興と講和独立のため奔走し「昭和の鞍馬天狗」と呼ばれた男・白洲次郎と、骨董の収集と随筆で知られる白洲正子を紹介している。次郎のローレックスの時計など愛用品や、正子の安土桃山時代の陶磁器など200点余りが展示されている。また、ふたりが住んでいた町田市の「武相荘」(ぶあいそう)の応接間が再現され、その生活ぶりをうかがえる。
 白洲次郎(1902年―1985年)はGHQをして「従順ならざる唯一の日本人」といわしめた。敗戦から卑屈になる日本人の多い中、勝者にも流暢な英語で渡り合い、凛とした態度を崩さなかった。思想の根底に流れるのが、「プリンスプル」principleだという。プリンスプルは、英和辞典を引くと、原理原則、主義・信条などと訳されるが、彼自身は「筋を通すこと」だと言ったそうだ。
 写真をみると身長180㌢の長身、イケメンで、ダンディである。初めてジーンズをはいた日本人とか。終戦処理のサンフランシスコ講和会議に向かう機内で、ひとりだけTシャツにジーンズの軽装で寛ぎ、到着後にビッシと正装でキメた。
 夫人である白洲正子(1910年―1998年)と子息にあてた遺言状には、「葬式無用 戒名不用」と書かれていた。ケンブリッジ大を卒業した英国仕込みのダンディズムを、生涯貫いた。
 「昭和の鞍馬天狗」は粋で人を魅せる御仁である。

0 件のコメント: