2009年3月7日土曜日

おいらテレビっ子50年

思い出語り

 あれは昭和33年(1958年)のことだった。
 テレビが家にやって来た。長嶋茂雄がプロ野球デビューし、東京タワーが誕生し、今や世界食となった即席ラーメン(チキンラーメン)が初めて世に出た年であった。
 まだモノクロテレビで、1958年の放送普及率は10.1%と低かった。NHK受信料を払わない“もぐり受信”があるため、放送普及率と実質の普及率とに誤差があるのは周知の通りだが、10.1%という数字は家庭にテレビは行きわたっていないことを示している。貧しい生活をしていたわりに、我が家のテレビは世間サマより先駆けていたといえるが、それでもご近所と比べ遅かったようだ。川崎の商店街に住み、パチンコ屋と映画館が囲まれていた生活環境では、商店の多くはテレビはあるのが当たり前だった。

 そのテレビに映っていたのは、外国テレビドラマ「アイバンホー」Ivanhoeだった。スコットランドの作家ウォルター・スコットSir Walter Scott(1771年―1832年)の歴史小説が原作で、中世期、十字軍遠征から帰ったアイバンホーが、ジョン王の悪政化にある英国を救う物語である。30分番組で、主役のアイバンホーを演じたのが、ロジャー・ムーアで英国テレビ界へのデビューであったという。美男の俳優であったと記憶していたが、あの男がロジャー・ムーアだったと知ったのは、つい最近のことである。馬上槍試合の場面は迫力があったなぁ。

 日本のドラマで初めて観たのは、「日真名氏飛び出す」である。ラジオ東京テレビ(現テレビ東京)で1955年から1962年まで放送された同局最初の連続テレビドラマである。素人探偵の日真名進介(久松保夫)と、助手の泡手大介(高原駿雄)が事件を解決する。久松保夫は後にブームとなる米国の西部劇ドラマ「ララミー牧場」の主役、ジェス・ハーパー役(ロバート・フラー)で声の出演をしている。
 そして同年、少年たちを夢中にさせた「月光仮面」がスタートした。原作は川内康範で、主役の月光仮面で祝十郎は大瀬康一が演じたのだった。

 テレビが家にやって来てから50年。全く観なかった日があっただろうか。アラ還の今もって、テレビっ子である。

×  ×  ×

 当時、「私の秘密」「ジェスチャー」「名犬ラッシー」「スーパーマン」「ハイウェイパトロール」なども観ていた。懐かしいなぁ。
※敬称略。文章中に事実誤認、赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。

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