2009年7月14日火曜日

あの名台詞:国定忠治

*赤城の山に名月が傾きかけ、雁が鳴いて西の空に飛んで行く。役人に追われ、国定忠治は赤城山を降りる決心を子分たちに告げるシーンである。

赤城の山も今夜限り、生まれ故郷の国定村や、
縄張りを捨て、国を捨て、
可愛い子分のてめえたちとも別れ別れになるかどで(首途)だ。

心の向くまま、足の向くまま、
あても果てしもねえ旅に立つんだ。

加賀国の住人、小松五郎義兼が鍛えた業物。
万年溜めの雪水に淨めて、
俺にゃあ、生涯てめえという強い味方があったのだ。

あの名台詞シリーズ第12弾は、三尺物の名作のひとつ「国定忠治」。芝居や浪曲、講談でお馴染みだが、草野球音が推すのは三船敏郎の映画だ。1960年(昭和35年)の東宝作品。監督は谷口千吉だった。
 天保7年、国定村は凶作に喘いでいた。幕府は苛政をもってのぞんでいた。故郷に戻った国定忠治は立ち上がる。代官所に斬り込む。
 国定忠治に三船敏郎。子分の日光の円蔵に加東大介、頑鉄に藤木悠。板割の浅太郎に夏木陽介が扮した。浅太郎の叔父にあたる目明し、勘助には東野英治郎。その幼子の勘太郎には、中村勘九郎だった。後の中村勘三郎である。当時の勘九郎をオンブして赤城山を三船の忠治が降りた。50年近く昔の話だが、今となっては世界の三船と十八代目勘三郎という“お値打ちモノ”のキャストだったなぁ。

 1958年の東映作品は、片岡千恵蔵の国定忠治だった。板割の浅太郎に里見浩太郎、勘介役は月形龍之介だった。監督は小沢茂弘。これもなかなかの配役だった。

 東海林太郎が歌った「名月赤城山」も忘られない。戦前の1934年の作品で、大ヒットした。作詞は矢島寵児、作曲は菊池博。
 ♪男ごころに 男が惚れて
  意気が解け合う 赤城山
  澄んだ夜空の まんまる月の
  浮世横笛 誰が吹く
 「赤城の山も今夜限り」の国定忠治を歌っている。

×  ×  ×
 「赤城の山も今夜限り」の名台詞は、行友李風(ゆきとも・りふう=1877年―1959年)の作で、新国劇の座付き作者として「国定忠治」~新国劇 極付 国定忠治 [DVD]「月形半平太」の作品を書いた。国定忠治はそれ以前にも浪曲や講談で語られていたが、この台詞が沢田正二郎演出で極め付きとなった。また、「月形半平太」の「月様、雨が‥‥」「春雨じゃ、濡れて行こう」という名台詞となっている。

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