2010年9月12日日曜日

高井鴻山記念館:信州小布施

北斎のパトロンにして妖怪画家
 信州小布施・須坂の美術館巡りは、北斎館から隣接している高井鴻山記念館を観る。

×  ×  ×

 まずは高井鴻山(たかい・こうざん)の略歴から。
『デジタル版日本人名大辞典+Plus』を引くと――
1806-1883江戸後期-明治時代の豪農。
文化3年生まれ。京都で梁川星巌(やながわ・せいがん)、江戸で佐藤一斎に儒学をまなぶ。天保7年の飢饉には信濃(長野県)小布施に帰郷して窮民を救済した。詩文、書画をよくし、晩年の葛飾北斎(かつしか・ほくさい)を小布施にまねいた。維新後、東京と長野に高矣(たかい)義塾をひらいた。明治16年2月6日死去。78歳。本姓は市村。名は健。字(あざな)は子順。通称は三九郎。

 さて北斎との関係は、よき理解者であり経済的支援者だった。小布施の自宅に北斎用のアトリエ『碧漪軒』(へきいけん)を建て、提供している。北斎は鴻山を『旦那様』と呼び、折り目のある交流が持ったという。

 高井鴻山記念館は、当時の邸宅、北斎のアトリエ(碧漪軒)、文庫蔵、穀蔵、屋台庫を利用して作られ、鴻山の絵画や書を展示している。晩年には妖怪画に没頭したそうだ。

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 鴻山記念館の売店に、『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる水木しげるサンの絵入りのサイン色紙が飾れていた。妖怪画が繋がりなんですねえ。恥ずかしながらここを見学するまで、知りませんでした。照れ笑いポリポリ。
2010年9月9日観覧

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