2010年11月23日火曜日

お祭りマンボの「スリバン」とは

星野哲郎⇒美空ひばり
 先日亡くなった作詞家・星野哲郎さんが、歌謡界の女王・美空ひばりさんに贈った曲は意外と少ない。演歌というジャンルの頂点に立つふたりの長いキャリアから、さぞやカップリング曲が多いかといえば、頭に浮かぶのは「浜っ子マドロス」「みだれ髪」ぐらいでしょうか。
 唐突ですが、星野さんから美空ひばり作品に話題は移ります。※敬称略

×  ×  ×

 美空ひばりの歌に「お祭りマンボ」がある。作詞作曲はともに原六朗。1952年(昭和27年)の作品。
 ♪おじさんおじさん 大変だ
  どこかで半鐘が なっている
  火事は近いぞ スリバンだ

 神田生まれのおじさんと浅草育ちのおばさんが大好きな祭りに夢中になるあまり、火事で家を焼かれたおじさんと、空き巣に入られヘソクリを盗られたおばさんが嘆き悲しむのだが、これぞ『あとの祭り』という、起承転結の効いた歌だった。

 さて「スリバン」である。
 三省堂デジタル大辞泉を引くと、
「すりばん」(擦り半、擂り半)は「擦り半鐘の略」とあり、さらに「擦り半鐘」にあたると、「近火を知らせるために、半鐘を続けざまに鳴らすこと。また、その音。すりばん」とある。

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほどに、江戸に火事が多かった。燃えやすい木造建築という構造上の問題に加え、江戸は18世紀に100万人を超え世界有数の人口過密都市だったことが、火事多発の原因だったのでしょう。
 江戸時代、放火は重罪でした。恋する男会いたさに放火した「八百屋お七」は鈴ヶ森で火刑に処せられたし、「鬼平」こと長谷川平蔵は火附盗賊改方で、職名が示すように火附け(放火)は押し込み強盗などと並ぶ凶悪犯罪だったのです。
 町内ごとに火の見櫓(やぐら)を設け、火災の早期発見に努めていました。半鐘の鳴らし方で火元までの距離を知らせていたのですね。
・ジャーン…………ジャーン…………:火元は遠い
・ジャンジャンジャン……ジャンジャンジャン:火元は近い
・鐘の中で擦ります乱打:火元は至近
 
 よって「お祭りマンボ」に出てくる「スリバン」は近所の火事なのです。

×  ×  ×

「“半鐘泥棒”っていわれたもんだよ」
 亡くなったお袋は明治生まれで、尋常小学校のころ大柄で遊び仲間によくはやされたそうだ。昔話に「そんなわけないだろう」と信用しなかった。自称五尺二寸(約157センチ)。いくら昔でもフツーサイズだ。早熟だったのだろうか。
 ガキのころ、近所の広場に火の見櫓(やぐら)があった。櫓のテッペンに半鐘が吊ってあった。昭和30年代初めまで建っていたのだが、その後どうなったのだろうか。

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