2010年12月10日金曜日

蔦屋重三郎展:サントリー美術館

歌麿、写楽、京伝を売り出した版元
 江戸は徳川将軍10代家治そして11代家斉の時代。18世紀後半。元号でいえば安永(1772年―1780年)天明(1781年―1788年)寛政(1789年―1800年)年間。浮世絵の喜多川歌麿、東洲斎写楽、戯作の山東京伝、狂歌の太田南畝(なんぼ)らスターが綺羅星のごとく登場し、江戸文化の花が咲いた。彼らの作品を売り出し、出版し、江戸文化の最先端を演出したのが版元の『蔦重』こと蔦屋重三郎だった。
「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展(2010年11月3日~12月19日)を東京・六本木のサントリー美術館で観る。

蔦屋重三郎の経歴――
 寛延3年(1750年)に江戸吉原で生まれで吉原育ち。23歳の安永2年(1773年)吉原大門の前に書店「耕書堂」を開き、店ごとの遊女を紹介した「吉原細見」を著わし出版業に進出した。
 安永9年(1780年)売れっ子作家・朋誠堂喜三二の黄表紙を出版するなど事業を拡大し、天明3年(1783年)に一流版元が軒を並ぶ日本橋に進出した。
 しかし、家治が亡くなり田沼意次が失脚し、家斉のもとで白河藩主から老中主座に就いた松平定信は逼迫した幕政を建て直すため寛政の改革を実施した。質素倹約を旨とし文武を重んじた。改革は厳しく、出版言論に統制が加えられた。寛政3年(1791年)、山東京伝の洒落本・黄表紙が摘発され、蔦重は身代半減の過料、京伝は手鎖50日の処罰を受けたが、その後歌麿の美人大首絵や写楽の役者絵を世に送り世間の大いなる支持を得た。
 また葛飾北斎(勝川春朗)、十返舎一九、曲亭馬琴らの才能を見出し、援助した名伯楽でもあった。寛政9年、48歳で亡くなっている。

構成
・第1章:蔦重とは何者か?―江戸文化の名プロデューサー
・第2章:蔦重を生んだ<吉原>―江戸文化の発信地 蔦重と江戸吉原/蔦重の新たな展開/蔦重と狂歌師たち/蔦重と寛政の改革
・第3章:美人画の革命児―美人大首絵の誕生 歌麿とライバルたち
・第4章:写楽“発見”―江戸歌舞伎の世界

 蔦重の関わった作品を通じて彼の業績と江戸文化に触れる展覧会。会場の入り口にある写楽の「三世市川高麗蔵の志賀大七」、同じく写楽の「二世嵐龍蔵の金貸石部金吉」、歌麿の「夏姿美人図」が目を惹いた。
 吉原の書店「耕書堂」の店先を再現した趣向もある。

×  ×  ×

 浮世絵の専門家である高橋克彦の「だましゑ」シリーズを思い出した。
・だましゑ歌麿
・おこう紅絵暦
・春朗合わせ鏡
・京伝怪異帖
 葛飾北斎の若き日の春朗時代に『密偵』だったと、高橋克彦は小説を作っている。田沼意次から松平定信の時代の移り変わりが描かれている。
2010年12月9日観覧

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