2011年2月5日土曜日

加藤廣「明智左馬助の恋(下)」

信長を討つは朝賊だからじゃ
 加藤廣の「明智左馬助の恋(下)」(文春文庫)を読む。「信長の棺」「秀吉の枷」に続く本能寺三部作の完結編。

「なぜ、我ら信長を討つのか。信長は天朝さまをないがしろにする朝賊だからじゃ。仏法の法敵だからじゃ。罪なき民百姓をさいなむ悪鬼だからじゃ。自らを神とうぬぼれる増上慢だからじゃ」
 沓掛。京と中国路の分岐点。明智軍一万三千は秀吉援軍の中国高松への道を選ばず、京へ向かった。左馬助は軍勢に檄(げき)を飛ばした。
 そして本能寺の変――。
 太政大臣・近衛前久を通じて、朝廷から「信長を討て」の綸旨を受け取れると信じ決起した光秀だが、その目算は外れた。
 明智家は滅亡の道をたどる。
「落城の譜」のほら貝の調べのなか、純愛を貫いた左馬助と綸は壮絶な最期を遂げる。

下巻目次
・第6章:天正10年
・第7章:本能寺の変
・第8章:阿弥陀寺・清玉
・終章:落城の譜
 明智一族が立籠る坂本城へ向かう左馬助は、愛馬・多賀影を駆って琵琶湖を渡りきった――「左馬助の湖水渡り」が描かれています。

×  ×  ×

「信長の棺」「秀吉の枷」そして「明智左馬助の恋」と加藤廣さんの「本能寺三部作」を読了しました。加藤流の解釈では――光秀の謀反をそそのかしたのは近衛前久だが、その裏で家康と繋がっていた。謀反を察知し、本能寺から南蛮寺へ通じる秘密の通路を塞いだのは秀吉だった。信長の遺品を、服部半蔵を遣い家康は入手し、秀吉の弱点を握った――となるのですよね。

 光秀は影武者を遣い、死を装って、消えていますが、この小説ではその後、生きているのか死んでいるのか不明です。気になるところです。
2011年2月4日読了

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