2011年2月22日火曜日

人たらし岸谷五朗・秀吉:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第7回=母の再婚)
どなたかを忘れてはおりませぬか。
本能寺の折、亡くなられたお屋形さまの嫡男・信忠さまの嫡子でござる。
こちらにおわすは、畏れ多くも信長さまのご嫡孫・三法師さまであらせられる――
 岸谷五朗の秀吉がこういって見得を切った。

 天正10年(1582年)6月27日。本能寺の変から25日。秀吉が明智光秀を討った「山崎の戦い」の後、尾張・清州城で信長後継問題が話し合われた。「清州会議」である。
 出席者は織田家の有力武将たち―柴田勝家(大地康雄)、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興の4人。後継候補は次男の信雄、三男の信孝の2人で、織田家筆頭家老の勝家は将器のある信孝を推した。が、秀吉には『隠し玉』があった。
 それが、信長の嫡男・信忠の遺児だった。三法師である。
 まさに信長の嫡孫で、後継者の条件を満たす。嫡孫は次男、三男より継承権では上位。秀吉は会議のムードを逆転し、長秀と恒興を味方につけ三法師の後継で押し切った。3歳の幼君の後見人となる秀吉は、こうして織田家の実権を握る。人心掌握・懐柔に優れた『人たらし』秀吉の面目躍如であった。

×  ×  ×

 三法師担ぎ出し作戦は、ドラマでは石坂浩二演じる茶頭・千宗易の暗示から生まれています。「(信長さまの)跡継ぎはお二人(信雄と信孝)だけでしょうか」と、秀吉に語りかけ、はっと三法師の存在に気が付き擁立に動いています。千宗易は秀吉の政策ブレインでもあったのです。

 市(鈴木保奈美)が柴田勝家と再婚することが決まりましたが、茶々(宮沢りえ)と初(水川あさみ)は猛反対していました。江(上野樹里)は「母上は、好きでもない男に嫁ぐのですか」と疑問を投げていました。
 それにしても、市は秀吉を毛嫌いしていましたな。「あのサルめに、織田家のことに口出しはさせぬ」と力んでいました。秀吉は市ダイスキなのにね(笑)。

 清州会議での秀吉と勝家の対立が、後に「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」に繋がるのですな。

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