2011年10月18日火曜日

世継ぎは竹千代:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第40回=親の心)

こたびは、まずもって皆に言うておくことがある。

わが徳川家を継ぐは、そこなる竹千代とする。

 家康(北大路欣也)は江戸城に出向き、秀忠(向井理)、江(上野樹里)、福(富田靖子)はじめ家臣を前に宣言した。



 病弱な兄・竹千代と聡明な弟・国松。乳児のときから乳母の福(春日局)に育てらた竹千代と、自分の乳を与えた国松とでは、江の愛情も国松に向いがちとなる。江戸城では世継ぎは弟の国松との噂が流れ出した。不安にかられた福は伊勢参りと偽り、駿府の家康を訪ね「竹千代さまを世継ぎに」と訴える。

 しばらくして家康は江戸に現れ、竹千代の世継ぎを宣(の)べた。



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 さて、竹千代は三代将軍の家光となったが、国松は忠長と名乗りり駿河国を治め、55万石を有して家光に迫る権勢を持った。通称は「駿河大納言」。が、江の死後、家臣を手討ちにしたなどの不行跡で秀忠により甲府に蟄居となった。さらに、秀忠の死後は家光により改易となり、自害に追い込まれた。享年29歳。ちなみに、松平長七郎は忠長の子とされ、里見浩太朗のドラマなどがあるが、架空の存在だそうだ。

 家光となった竹千代は次男で、忠長の国松は三男。長男は、秀忠が側女に手をつけ産ませたが、夭折した。また、秀忠と側室の静との間にできた四男は保科正之となり会津松平家の祖となった。



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 江と春日局の世継ぎバトルは、昔から映画や舞台、ドラマで描かれていますが、実際はどんなものだったのでしょうか。
 家康の世継ぎ宣言にも、江はまだ納得していないようでした。

 大坂城では秀頼(太賀)が側室との間に子を儲けましたな。千姫は芦田愛菜ちゃんから忽那汐里(くつなしおり)に代わりました。淀(宮沢りえ)の家康憎しの状態は回を追うごとにエスカレートしています。

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