2012年1月28日土曜日

尾張名古屋は城でもつ

名古屋日帰り観光(or 敢行)しましたぞ。


 まず見物は名古屋城から。尾張名古屋は城でもつ――と謳われた名古屋の象徴。実は何10回と訪れているのだが、仕事場と飲屋ばかりで観光はからっきしゼロ。今回10年ぶりの名古屋で、初めて金鯱で知られる名城を観ました。

さて、名古屋城の歴史です。徳川家康が慶長14年(1609年)九男・義直のため尾張藩の居城を当地に決め、慶長20年に完成しました。東海道の要所であり、大坂方への備えの城でした。また織田信長誕生したとされる那古野城(なごやじょう)の跡地周辺に築城されました。
普請には秀吉恩顧の加藤清正、福島正則らが家康の命であたっています。高度の技術が要求された天守台の石垣は清正が築きました。
当時の金鯱(きんしゃち、きんこ、きんのしゃちほこ)は一対(北側が雄、南側は雌)で慶長大判1940枚分、純金にして215.3キロの金が使われていたそうな。鯱とは姿が魚で頭が虎の想像上の動物。

慶長という時代は、戦国の激動末期です。名古屋城の築城の期間は、淀・秀頼と家康とのパワーゲームの真っ最中でした。
3年:豊臣秀吉の死去
5年:関ヶ原の戦い
8年:家康が征夷大将軍に任じられ江戸開府
9年:慶長大地震
19年:大坂冬の陣
20年:大坂夏の陣
で、豊臣家が滅亡。
かくして長い安定の武家政権・江戸へ時代はめぐります。



 いきなり城内で会ったのはなかなか可愛いらしい「はち丸」でした。名古屋城ゆるキャラ。丸八印の風呂敷包みを担いだ殿さまで、生年は1610年(慶長15年)とか。402歳にはとてもとても見えない。お若く見えました(笑)。ちなみに丸に八は名古屋市の市章です。
 帰路には名古屋おもてなし武将隊の前田慶次(利益)とバッタリ。戦国一のカブキ者。遠目ながら彼はイケメンでしたぞ。
「ハチ丸」も「前田慶次」も見物人との記念撮影に忙しい様子でした。
2012126日観覧

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