2015年5月26日火曜日

会津の旅:新島八重スペンサー銃からバイブルへ

♪ 会津若松 鶴ヶ城  二十日籠りて 城落ちぬ__
橋幸夫が歌っていました「花の白虎隊」。
佐伯孝夫作詞 / 吉田正作曲の黄金コンビ。
会津に行ってまいりました ^_^)   ×    ×    













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娘夫婦つまりママにパパ、孫2人・
福島伊達に住まうパパのご両親に私ども夫婦の8人の旅です。
歴史遺産と温泉と美酒と4歳7ヶ月と1歳6ヶ月の孫に癒されました。
・鶴ヶ城
・白虎隊記念館
・会津武家屋敷
泊まりは東山温泉 御宿東鳳。

「花の白虎隊」は橋幸夫の歌う前に
1954年(昭和29年)の大映映画があります。
関西歌舞伎の若手 市川雷蔵の映画デビュー作。
長唄の勝新太郎にとってもデビューですが、
雷蔵の方が当時厚遇されていたんですな。

ガキのころ会津といえば白虎隊をまず連想したが、
最近はNHK大河ドラマ「八重の桜」2013年の影響で
綾瀬はるか演じた新島八重への関心も高いと思う。

白虎隊は結局悲劇で終わるが、
新島八重は女性の先駆者でこちらも清々しい気分に、
生きる勇気をもらえる気がしていいなぁ。
会津戦争の籠城戦で最新式の7連発のスペンサー銃で応戦した女丈夫です。

スペンサー銃は当時高価で30両近い値段だったそうです。
1両が現在の10万円に相当するというから30万円もするシロモノです。
アメリカ南北戦争(1861年ー1865年)が終わり余剰物資となった
銃が武器商人を通じて幕末の日本に流れ込んだ。

戊辰戦争で鉄砲を撃った女は、敗戦後に兄の山本覚馬を頼り京都に行き
新しい文化に触れ英語、聖書を学び新島襄と再婚する。
襄を助け同志社大学設立へ尽力する。
さらに日清・日露の両戦争でも篤志看護婦として参加もしています。
波瀾万丈__時代を駆け抜けたのだよね。

幕末には新撰組を束ねていた京都守護職の、
会津藩主 松平容保(かたもり)は戊辰戦争では賊軍となり敗れ、
明治に復権し日光東照宮の宮司になりました。
禰宜(ねぎ)を務めたのは家老の西郷頼母(たのも)でした。

幕末から明治への変遷は激しい。
チョンマゲ結って刀差していた侍が洋服着て牛鍋を突く。
草鞋履きで歩いて旅していたのが、
明治5年には新橋ー横浜間で汽車に乗っているのだからね。
日本史の中でも最も激しく時代が動いたのではなかろか。

新島八重の激動に想いを馳せた会津の旅でした。

拙ブログ「新島八重」関連
「八重の桜」展2013/04/06
「八重の桜」展2 2013/04/08  

2015年5月23日・24日
美博の館

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