2007年11月20日火曜日

夭折の美学:赤木圭一郎Ⅱ

 咲き誇る花よりも、散る花は美しい。

 赤木圭一郎(1939年―1961年)の死はハリウッド俳優のジェイムズ・ディーン(1931年―1955年)のそれと例えられる。映画「エデンの東」「理由なき反抗」で主演し、彗星のように出現したスターだったが、ポルシェを運転中に交通事故死した。24歳。若すぎる男の衝撃的な死を、全米はおろか世界中が悲しみ悼んだ。
 新撰組の隊士、沖田総司にもいえる。近藤勇、土方歳三とともに天然理心流の道場、試衛館で剣技を磨き十代で免許皆伝を取り塾頭を務めた天才剣士であり、労咳(肺結核)を患い若くして世を去った。池田屋事件で喀血したことが映画などで描かれているが、美少年説とともに事実かどうか定かではない。生年ははっきりせず享年については24歳~27歳まで諸説あり。とにかく幕末という動乱のなかに身を置き、生き急ぐように逝った。

 夭折に人々の心は動かされる。老いは誰にも例外なく訪れるが、老いを晒すことなく、清廉な若さのまま人の記憶に残るのだ。

 赤木圭一郎は1958年の日活第4期ニューフェイスで入社した。ちなみに日活第1期ニューフェイスに宍戸錠、名和宏、第3期に小林旭、ニ谷英明、第5期に高橋英樹、第6期に山本陽子、第7期に渡哲也がいる。
 トニー・カーティスに似ていることから、「トニー」の愛称で呼ばれた。
 生涯で20数本の映画に出演した。初主演は鈴木清順監督の「素っ裸の年令」(1959年)。「鉄火場の風」「清水の暴れん坊」では石原裕次郎と共演している。
 「拳銃無頼帖」シリーズが代表作品か。愛用のコルトで相手の利き腕の肩を射抜く射撃の名手“抜き撃ちの竜”に扮している。1960年に野口博志監督でたてつづけに4本製作された。
・拳銃無頼帖 抜き撃ちの竜
・拳銃無頼帖 電光石火の男
・拳銃無頼帖 不敵に笑う男
・拳銃無頼帖 明日なき男
 「電光石火の男」は吉永小百合の映画デビュー作品である。中学生だった草野球音は、小百合の清純可憐さに目を見張った。

 当時の日活は主演スターが主題歌も唄ったが、ヒットしたのは映画と同名曲「霧笛が俺を呼んでいる」(水木かおる作詞・藤原秀行作曲)だろうか。
 映画は個人的には最後の公開作品となった「紅の拳銃」(1961年・牛原陽一監督)が好きだ。戦争で片腕を失った射撃の名手(垂水悟郎)が、天才的な素質の男(赤木圭一郎)を見出し殺し屋に育成するというストーリーだった。

 瞼の裏のスクリーンに永遠の21歳・トニーが甦る。(完)

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