2007年12月9日日曜日

半七はお江戸のホームズ

 岡本綺堂の「半七捕物帳」〔一〕(光文社時代小説文庫)を読む。

 “永遠の二枚目”長谷川一夫(1908年―1984年)の「半七捕物帳」はテレビでよく観た。TBSで1966年(昭和41)~1968年で放送された。お仙は淡島千景だった。桜井長一郎(1917年―1999年)が十八番(おはこ)の長谷川一夫の声帯模写をする場合、「赤穂浪士」(NHK大河ドラマ)の大石内蔵助の「おのおのがた」か、この半七の「おせん」だった。「お仙」のあとに「おせんにキャラメル」といって、お決まりの笑いを誘っていたものだ。

 読書はこのところ専ら時代小説だ。20代後半から30代にかけては司馬遼太郎(1923年―1996年)の「竜馬はゆく」「坂の上の雲」「花神」「菜の花の沖」などの歴史小説、40代は池波正太郎(1923年―1990年)の「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」シリーズもの、50代からは藤沢周平(1927年―1997年)ものを読んでいる。最近では佐伯泰英の「居眠り磐音」「密命」シリーズ、鳥羽亮、稲葉稔、葉治英哉などにも手を出している。
 歴史小説は歴史上の人物が登場し、ほぼ史実通りに筋が展開するが、時代小説は架空の人物を登場させる。歴史小説は歴史上の人物の思想や事件をテーマを、時代小説は面白さ・エンターテインメント性を重視したものといわれる。

 「半七捕物帳」は前々から読みたい、読まなければならないと思っていた。「捕物帳」の元祖であり、探偵小説の草創期の傑作である。江戸時代の風習、制度など時代考証に忠実な書物という。岡本綺堂が45歳(1917年)から65歳(1937年)までの20年間にわたり書いた。明らかにコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」に影響を受け、意識して書かれている。
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これらの探偵談は半七としては朝飯前の仕事に過ぎないので、その以上の人を衝動するようなまだまだほかにたくさんあった。彼は江戸時代に於ける隠れたシャアロック・ホームズであった。
――第1話「お文の魂」より
 
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 なぜ岡本綺堂はホームズを意識したのか。
 綺堂は1872年(明治5)に東京・高輪に生まれ、麹町で育った。享年は66歳。父・敬之助(後に純=きよし=と改名)は徳川家御家人で、維新後に英国公使館の書記官を務めている。
 綺堂は幼少から英語を学び、英国公使館に出入りする留学生に接していた家庭環境もあり、英語達者であった。
 コナン・ドイル(1859年―1930年)の「シャーロック・ホームズ」は1887年から1927年にかけて60編(長編4・短編56)が発表されている。つまりドイルと同時期に生き、「ホームズ」が執筆されている時に原書で読んでいたのである。
 記憶にまだ江戸の面影が残る綺堂は、ロンドンの街で活躍する探偵シャーロック・ホームズを、江戸の岡っ引・半七に見立てたのだろう。

 また「捕物帳」という言葉を遣ったのも綺堂が最初であり、その後広く一般化したといわれている。
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「捕物帳というのは与力や同心が岡っ引らの報告を聞いて、更にこれを町奉行所に報告すると、御用部屋に当座帳のようなものがあって、書役(しょやく)が取りあえずこれに書きとめて置くんです。その帳面を捕物帳といっておりました」と、半七は先ず説明した。
――第2話「石燈籠」より

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 「捕物帳」というものが江戸時代に実在したどうかは分からないそうだが、類似した書き物はあったという。

 まだ一巻(短編14)のみだが、読んでみると実に新しい。綺堂が第1話の「お文の魂」を発表してからすでに90年の歳月を経過したが、「半七捕物帳」には現在もなお十分に通用する鮮度があった。

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