2008年1月13日日曜日

瞼の昭和:ちょいと一服

 「瞼の裏で咲いている‥‥」は、草野球音の昭和30年代――思い出や記憶を年ごとに辿る連作である。2007年11月18日の「昭和30年編」でスタートした。その以前に書いた「♪ああ 哀愁の街に霧が降る」(2007年10月26日)「アカシアの雨がやむとき」(2007年11月21日)も同類の原稿とし、最新の「昭和35年編」を加えると、計12項を「瞼の昭和」というカテゴリーで書いたことになる。東京五輪の「昭和39年編」を最終と考えているので、残すはあと4年分となった。

 誠に勝手気ままながら、ここら辺りでちょいと一服したい。

 「ちょいと」の間を利用して、プロ野球の個人タイトルについて、昭和34年から記したが、昭和30年から昭和33年までが欠落しているので、付け加えたい。その後、それぞれの年度の項の適当な場所に挿入することにする。

・昭和30年の主な個人タイトル=セ・パ
最優秀選手=川上哲治(巨人)・飯田徳治(南海)
新人王=西村一孔(大阪)・榎本喜八(毎日)
首位打者=川上哲治(巨人)・中西太(西鉄)
本塁打王=町田行彦(国鉄)・中西太(西鉄)
打点王=川上哲治(巨人)・山内和弘(毎日)
最優秀防御率=別所毅彦(巨人)・中川隆(毎日)
最多勝=長谷川良平(広島)大友工(巨人)・宅和本司(南海)
最優秀勝率=大友工(巨人)・中村大成(南海)

・昭和31年の主な個人タイトル=セ・パ
最優秀選手=別所毅彦(巨人)・中西太(西鉄)
新人王=秋山登(大洋)・稲尾和久(西鉄)
首位打者=与那嶺要(巨人)・豊田泰光(西鉄)
本塁打王=青田昇(大洋)・中西太(西鉄)
打点王=宮本敏雄(巨人)・中西太(西鉄)
最優秀防御率=渡辺省三(大阪)・稲尾和久(西鉄)
最多勝=別所毅彦(巨人)・三浦方義(大映)
最優秀勝率=堀内庄(巨人)・植村義信(毎日)

・昭和32年の主な個人タイトル=セ・パ
最優秀選手=与那嶺要(巨人)・稲尾和久(西鉄)
新人王=藤田元司(巨人)・木村保(南海)
首位打者=与那嶺要(巨人)・山内和弘(毎日)
本塁打王=青田昇(大洋)佐藤孝夫(国鉄)・野村克也(南海)
打点王=宮本敏雄(巨人)・中西太(西鉄)
最優秀防御率=金田正一(国鉄)・稲尾和久(西鉄)
最多勝=金田正一(国鉄)・稲尾和久(西鉄)
最優秀勝率=木戸美摸(巨人)・稲尾和久(西鉄)

・昭和33年の主な個人タイトル=セ・パ
最優秀選手=藤田元司(巨人)・稲尾和久(西鉄)
新人王=長嶋茂雄(巨人)・杉浦忠(南海)
首位打者=田宮謙次郎(大阪)・中西太(西鉄)
本塁打王=長嶋茂雄(巨人)・中西太(西鉄)
打点王=長嶋茂雄(巨人)・葛城隆雄(大毎)
最優秀防御率=金田正一(国鉄)・稲尾和久(西鉄)
最多勝=金田正一(国鉄)・稲尾和久(西鉄)
最優秀勝率=藤田元司(巨人)・秋本祐作(阪急)

 草野球音が生でプレーを観た選手で最古参は、川上哲治別所毅彦(1922年―1999年)青田昇(1924年―1997年)、ここには名前は登場していないが、別当薫(1920年―1999年)あたりである。別当は毎日の兼任監督時代で代打出場したのを観ている。いずれも引退間際のころで往年の力はなかったが、「打撃の神様」、「300勝の豪腕」、「じゃじゃ馬」、「球界の紳士」という冠詞のつく伝説のオーラは感じられた。

 ちなみに別所と青田は滝川中学で一緒に、川上は熊本工業で吉原正喜(巨人)とバッテリーを組み、別当は甲陽中学で、4人とも甲子園出場の経験を持つ。

 吉原正喜(1919年―1944年)は強肩の捕手で、1938年(昭和13年)左腕の川上とバッテリー揃って熊本工業から東京巨人軍入りした。入団1年目からレギュラー捕手を務めた。巨人の狙いは川上でなく吉原にあったといわれる逸材である。1941年、応召して太平洋戦争の戦地に赴いた。敗色濃い1944年(昭和19年)インパール作戦遂行中、25歳の若き命はビルマで散った。
 子供のころ川上哲治の伝記を読むと、必ず吉原正喜との件が登場する。吉原のプレーは観たことはないが、気になる存在であった。

※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で「主」の記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。

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