2008年2月3日日曜日

アキラの無国籍・渡り鳥

シリーズ映画Ⅰ

 ギターを抱え馬に乗った渡り鳥が、ふらりと立ち寄った見知らぬ街で可憐なあの娘の難儀に出会う。ひと肌脱いで、問題を解決する―アクション。ふたりの間に芽生える恋心―ラブロマンス。だが、一緒になれない運命がある。やがて別れはやってくる。
 惚れてくれるな やくざな俺に
 赤い夕陽に 照らされて
 どこをねぐらの 渡り鳥
――小林旭*の映画「渡り鳥シリーズ」はざっと、概ねこんな内容だった。
 男はご存知、滝伸次の小林旭で、美しい娘は浅丘ルリ子に決まっている。そして対峙する凄腕ガンマンは宍戸錠(錠さん以外の配役もある)なのだ。


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 男のスタイルは西部劇である。日本のどこに馬に跨(またが)りガンベルトに拳銃を下げ、さらにギターまで抱えた男がいるだろうか。この時代、テレビでは米国のテレビ西部劇が盛んに放送されていた。「ガンスモーク」「拳銃無宿」「ララミー牧場」「ローハイド」などで、西部劇人気に便乗した感もある。
 早撃ちのガンプレー、ダイスさばき、歌う場面も「渡り鳥―」ではお約束で挿入されていた。
 和製西部劇。荒唐無稽。無国籍映画。1960年(昭和35)前後の当時、映画評などで軽視されていたようだが、草野球音は好みであり、面白くて映画館に通ったものだ。

 「渡り鳥シリーズ」の発端は、ペギー葉山のヒット曲「南国土佐を後にして」(武政英策作詞・作曲)で、この曲を背景した映画が制作された。監督は斎藤武市だった。映画「南国土佐を後にして」(1959年・日活)もヒットし、その続編的な映画が企画された。第1作は「ギターを持った渡り鳥」である。映画は大当たりし、次ぎから次ぎと作られていった。

・映画「渡り鳥シリーズ」=日活・いずれも監督は斎藤武市
「ギターを持った渡り鳥」(1959年)
「口笛が流れる港町」(1960年)
「渡り鳥いつまた帰る」(1960年)
「赤い夕陽の渡り鳥」(1960年)
「大草原の渡り鳥」(1960年)
「波濤を越える渡り鳥」(1961年)
「大海原を行く渡り鳥」(1961年)
「北帰行より渡り鳥北へ帰る」(1962年)
 全8作で、小林旭の役はいずれも滝伸次。浅丘ルリ子が相手役で、1961年の「波濤―」まで宍戸錠が出演している。発端となった「南国土佐を後にして」(斎藤武市監督)と1962年の「渡り鳥故郷へ帰る」(牛原陽一監督)を入れて、全10作とも全9作ともいう説もあるが、「南国土佐―」と「故郷へ帰る」の主人公が滝伸次でなく別名になっているので、「渡り鳥シリーズ」には括(くく)らない。

 忙しい最中、小林旭はもう一つ人気シリーズを抱えていた。「銀座旋風児シリーズ」である。銀座で装飾デザインの事務所を構える二階堂卓也が事件を解決するストーリー。二階堂役は小林旭で、美人助手に浅丘ルリ子(作品により松原千恵子)、情報屋には作品により宍戸錠、小沢昭一、近藤宏、藤村有弘、高品格が演じた。

・映画「銀座旋風児シリーズ」=日活・いずれも監督は野口博志
「銀座旋風児(ギンザマイトガイ)」(1959年)
「銀座旋風児・黒幕は誰だ」(1959年)
「銀座旋風児・目撃者は彼奴だ」(1960年)
「銀座旋風児・嵐が俺を呼んでいる」(1960年)
「帰ってきた旋風児・銀座無頼帖」(1962年)
「風が呼んでる旋風児・銀座無頼帖」(1963年)
全6作。 野口博志は赤木圭一郎の「拳銃無頼」シリーズの監督でもある。

 草野球音は上記のシリーズ14作品すべてを観ているわけではない。映画館に足を運んだのは過半数だろう。そのどれも面白かった。日活映画が大好きだった。

 小林旭二大シリーズの絶頂期は1960年(昭和35)で、「渡り鳥―」4本・「銀座旋風児」2本と大車輪の活躍だった。思えば、昭和35年は小林旭12本、石原裕次郎(1934年―1987年)10本、赤木圭一郎(1939年―1961年)11本、和田浩二(1944年―1986年)9本に映画出演している。日活ダイヤモンドラインが最も輝いた年であった。
 ダイヤモンドラインのうち小林旭を除く3人が鬼籍の人となっている。3人ともに若死にであることが寂しい。

小林旭(こばやし・あきら):1938年(昭和13)東京生まれ。第3期日活ニューフェイス。1962年美空ひばりと結婚、2年後に離婚。1967年青山京子と再婚。歌う映画スターとして「ダイナマイトが百五十屯」「さすらい」「北帰行」「自動車ショー歌」「昔の名前で出ています」「熱き心に」など多くのヒット曲を持つ。

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