2008年9月4日木曜日

麗しのオードリーと同名

  我々が日常的に使っているヘボン式ローマ字を創始したのが、ジェームズ・カーティス・ヘボンJames Curtis Hepburn(1815―1911)である。アメリカ人で宣教師であり、医師であった。

 ヘボンHepburnは、あの名優のオードリー・ヘプバーンAudrey Hepburn(1929―1993)キャサリン・ヘプバーンKatharine  Hepburn(1907―2003)と同じ綴りの苗字で、当時の日本人が耳で聞いた通りの発音で「ヘボン」となったと推測する。

 かのヘボンは、日米修好通商条約が締結され、翌1959年(安政6年)開港したばかりの横浜に来日した。まず住んだのが、宣教師宿舎にあてられた神奈川成仏寺であった。3年後に横浜居留地39番に移り住んでいる。人形の家(中区山下町)に近い横浜地方合同庁舎の前には、「ヘボン博士邸跡」の石碑がある。

 日本初の和英辞典「和英語林集成」を編纂、三国平文の名で出版している。その表記に生まれたのがヘボン式ローマ字だったそうだ。また、英語教育にも貢献し、1863年(文久3年)横浜にヘボン塾を開いたり、明治学院の創設に尽力している。

 日本に33年間滞在し、1892年(明治25年)にアメリカに帰国している。

 ヘボンの「和英語林集成」編纂を手伝ったは、ジョセフ彦の日本初の新聞発行に協力した岸田吟香(1833-1905)だった。

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