2009年2月4日水曜日

佐藤文栖:「金川日記」

横浜開港150周年

 佐藤文栖(さとう・ぶんせい)って御仁を知っていますか?

 ぶらり散歩に出る。横浜・都筑区の横浜市歴史博物館(横浜市営地下鉄・センター北駅、徒歩5分)で、横浜開港150周年企画展「黒船・開国・社会騒乱~日記にみる150年前の横浜」(3月15日まで開催)を観る。
 この日記を書いたのが、幕末の頃、神奈川宿に住んでいた知識人、佐藤文栖である。寛永2年(1849年)から安政7年(万延元年、1860年)の12年間にわたり、黒船来航、国内情勢、事件、天変地異などが記されている。

 嘉永6年(1853年)、アメリカ合衆国のマシュー・C・ペリー(1794年―1858年)提督が率いる艦隊が浦賀に来航し、翌嘉永7年(安政元年、1854年)に横浜村で日米和親条約が結ばれ、固く閉ざしていた鎖国の扉がこじ開けられた。そして安政5年(1858年)に安政の五カ国条約が締結され、翌1859年に横浜は開港した。今年2009年は、横浜開港から150周年のアニバーサリーにあたる。「金川日記」(かながわにっき)を基に150年前の神奈川宿や政治・社会情勢を辿ろうという企画の展示会である。
 展示構成は、
Ⅰ「金川日記」と佐藤文栖
Ⅱ異国船来航
Ⅲ自然災害、流行病
Ⅳ外国人への視線
Ⅴ国内情勢と文栖
となっている。
 
 佐藤文栖とはどんな人だろう? 博物館での資料で紹介する――寛政5年(1793年)頃、都筑郡久保村(横浜市緑区)に生まれた。27歳で江戸に遊学し、医学や儒学を学び、帰郷後医業を営み寺子屋も開いた。寛永2年に隠居の場として神奈川宿に移り住んだ。明治を待たずに慶応3年(1867年)に没している。

 興味を引いたのは、安政年間(1854年~1860年)という凄まじい激動の元号である。よくもこれほどの出来事があった、と感嘆した。
 安政元年(1854年)に日米和親条約が締結された。元年に東海地方で、翌2年には江戸で大地震が発生した。安政東海地震はマグニチュード8.4で、江戸の地震は安政の大地震と呼ばれM6.9を記録し、神奈川宿では約200軒の家が倒壊した。
 さらに3年には大風で、神奈川宿で265軒が倒壊している。また2年にはコレラも流行した。コレラは5年にも江戸で猛威を振るっている。
 5年(1858年)には日米修好通商条約をはじめ五カ国条約が結ばれた。そして大老、井伊直弼による安政の大獄が始まり、7年3月3日、桜田門外の変が起こっている。
 まさに安政は、幕末という激動の時代の象徴的な期間であった。
 

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

手元にある金川日誌という名の木版刷りの和本について調べてこのページに参りました。
金川日記とおそらく同じ内容のように思います。さて御貴殿ページに気になる所がありましたので
ここに記しておきます。「寛永2年に隠居の場として神奈川宿に移り住んだ」の部分ですが
これで元号はよろしいのでしょうか。