2009年5月31日日曜日

石本美由起:memoryⅠ


憧れのハワイ航路

 先ごろ(2009年5月27日)85歳で亡くなった作詞家、石本美由起(いしもと・みゆき、本名・美幸)の残した名曲を辿り、備忘録「石本美由起:memory」としたい。

×  ×  ×

 高く晴れた青空に、岡晴夫の伸びやかな歌声が響きわたった。敗戦から3年、その後遺症の影を落とす昭和23年(1948年)、日本人に希望を与えた。「憧れのハワイ航路」岡晴夫 BEST★BESTの大ヒットは、石本美由起の名を轟かせた。作曲は、「月月火水木金金」「赤いランプの終列車」で知られる江口夜詞(えぐち・よし)である。
 ♪晴れた空 そよぐ風
  港出船の ドラの音愉し
 海外旅行など庶民には無縁の時代であった。太平洋を隔て常夏の島がある。航空機より船の渡航が当たり前だった。おそらく横浜の大桟橋あたりだろう。出航のドラが鳴り、五色のテープが舞う。往く人、送る人の満面に笑顔がある。
 いざ、ハワイへ出発すると、気分はさらにリラックス、2番の歌詞では‥‥
 ♪ひとりデッキで ウクレレ弾けば
  歌もなつかし あのアロハ・オエ
と、平和が訪れた今、心の底からハワイ航路を愉しでいる。

 日本海軍が米国の太平洋艦隊の基地オアフ島真珠湾を航空攻撃したのは、1941年12月8日未明のことだった。ここに日米決戦の火蓋が切られた。ハワイは戦争の発火点でもあった。
 その因縁の地へ暗く耐える戦時を経て、旅ができるようになった。海外旅行はもちろんのこと、国内の旅でさえ覚束ない一般大衆は、オカッパルの歌声に、必ず訪れる明るい時代への予兆を感じたのではないか。

 日本人のハワイ好き・信仰は、この詞から始まった、と草野球音は推測する。

 1924年広島県大竹の出身。「憧れのハワイ航路」は、大竹の港から別府へ向かう航路の風景がモチーフになったという。デビューは、「長崎のザボン売り」で歌謡同人誌に投稿した詞が、関係者の目にとまり、江口夜詞が曲をつけ小畑実が歌いヒットしている。同じ1948年にリリースした2作目の「憧れのハワイ航路」で、石本美由起はプロ作詞家として一本立ちしたのだった。(続く)
啼くな小鳩よ/東京の花売娘/憧れのハワイ航路

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