2009年6月6日土曜日

石本美由起:memoryⅣ

悲しい酒・人生一路

 美空ひばりの売上ベスト10曲を挙げる。
1.柔(1964年)180万枚=関沢新一作詞・古賀政男作曲
2.川の流れのように(1989年)150万枚=秋元康作詞・見岳章作曲
3.悲しい酒(1966年)145万枚=石本美由起作詞・古賀政男作曲
4.真紅な太陽(1967年)140万枚=吉岡治作詞・原信夫作曲
5.リンゴ追分(1952年)130万枚=小沢不二夫作詞・米山正夫作曲
6.みだれ髪(1987年)=星野哲郎作詞・船村徹作曲
7.港町十三番地(1957年)=石本美由起作詞・上原げんと作曲
8.波止場だよ、お父つぁん(1956年)=西沢爽作詞・船村徹作曲
9.東京キッド(1950年)=藤浦洸作詞・万城目正作曲
10.悲しき口笛(1949年)=藤浦洸作詞・万城目正作曲
さすがに歌謡界の女王。名曲は綺羅星の如く、である。

 作詞家でベスト10曲に二度顔を出しているのは、石本美由起と藤浦洸のふたり。作曲では古賀政男と船村徹で、このあたりが「女王ひばり伝説」を作った功労者たちと言っていいだろう。
 
 ひばりの代表作のひとつ「悲しい酒」が世に出たのは1966年(昭和41年)だった。作曲は古賀政男。
 これはどこぞで読んだ話である。石本は横浜駅西口にほど近いバーでホステスの語る身の上話から、
 ♪ひとり酒場で 飲む酒は
  別れ涙の 味がする
というフレーズが浮かんだ。
 好きな男と添えなかった女が、バーの止まり木に寂しく佇み、グラスを傾ける光景が浮かぶ。
 ♪酒よこころが あるならば
  胸の悩みを 消してくれ
 そして、夜が更けていく。

×  ×  ×

 「人生一路」は美空ひばりの人生のテーマ曲だった。1970年(昭和45年)の作品である。
 石本美由起の通夜に参列した美空ひばりの長男で、ひばりプロダクション社長の加藤和也が「先生には母の人生のテーマ曲というべき『人生一路』を作っていただいた」と、述懐していた。
 ♪一度決めたら 二度とは変えぬ
  これが自分の 生きる道
 作曲は、加藤和也の実父であり、ひばりの実弟であるかとう哲也である。かとう哲也は、俳優、歌手をしていたが、ひばりの七光りによる出演が多かったと記憶する。後に作曲を手掛けるようになる。母親・喜美枝、かとう哲也と香山武彦(旧芸名・花房錦一)のふたりの弟に先立たれ、肉親の縁の薄いひばりは、かとうの息子、加藤和也を養子として迎えた。
 かとう哲也はデビュー当時、小野透と名乗った。小野満から名をとった芸名で、ひばりと満は一時恋仲であり、ジャズの指導をしたことで知られる。あの紅白歌合戦で白組の演奏・指揮をした「小野満とスイングビーバーズ」のバンドマスターだ。
 ちなみに香山武彦のデビュー時の芸名は花房錦一で、これはひばりと親交の深い中村錦之助(後の萬屋錦之介)から「錦」の字を頂いた。
 「母の人生のテーマ曲」という加藤和也には、実父の手による作曲であり、「人生一路」に特別の思いがあったのではないか。歌うひばりも、愛した弟の作品であり、力の入れようは半端でなかった。名曲は綺羅星の如くだが、この一曲は特別だったと草野球音は看破する。
 ♪胸に根性の 炎を抱いて
  決めたこの道 まっしぐら
 どこまでも歌詞は人生を前へ突き進み、「花は苦労の 風に咲け」と結ばれている。頑固一徹な生き様を謳う詞に、ひばりは自分の人生を投影したのだろうか。(続く)
特選集/悲しい酒
かとう哲也作品集 人生一路

 

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