2009年8月22日土曜日

温故“痴”新:藤間哲郎

ざんざら真菰

 いやぁ歳には勝てませんや。このところ眼は白内障予備軍、歯は歯槽膿漏、そして耳は老人性難聴気味と、加齢化の荒波が男五尺の身体に押し寄せます。アンチエージングなどと力んでみても、所詮は時の流れには身を任せるしかなさそうです。
 そんなハマの隠居にして覆面雑文屋の、遠くなった耳に時折聴こえてくる歌があります。あの懐かしのメロディです。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」といいますが、「温故知新」いや「温故“痴”新」の旅へ出てみましょうか。
 ♪嬉しがらせて 泣かせて消えた
  憎いあの夜の 旅の風
 あの三橋美智也の歌謡曲デビューとなった「おんな船頭唄」三橋美智也 1。山口俊郎作曲で、作詞は藤間哲郎です。1955年(昭和30年)民謡を歌っていた三橋を歌謡曲のスターに押し上げた出世作です。
 三橋は売れない時分、横浜・綱島温泉で働いていたそうです。亡くなったおふくろは「綱島で三助(さんすけ)をしていた」と言っていたが、雑誌などを読むと「ボイラーマン」と書いてあったっけ。
 ところで「サンスケ」って、わかりますか?
 デジタル大辞泉を引くと「銭湯で、風呂を沸かしたり、客の背中を流したりした男」とある。銭湯に半股引に腹巻のみ着用した男の従業員がいたことを、草野は記憶している。現在では存在しないし、三助って「差別語」っぽい響きがありますなぁ。
 話を戻しましょう。
 高音の歌い出しに、あの三橋の美声が伸びやかに響いた。ガキのころ、続く「思い出すさえ ざんざら真菰(まこも)」という意味がわからなかった。
 「ざんざら」は「ざわざわ音がする」という意味だそうで、真菰は沼、川、湖などの水辺に生育するイネ科の多年草だそうだ。
 ♪利根で生まれて 十三七つ
 二十歳のおんな船頭が恋をします。逢瀬は利根の河原。真菰が風にざわざわ鳴っていました。男は去ります。悲恋です。消えない男の面影――。
 意味を解釈してしまうと、なんでもないことですが、このフレーズを生んだ作詞は只者ではないぞと、成人になってから思い知った次第なのです。
 その作詞家の名は藤間哲郎(ふじま・てつろう)。調べてみると、名曲があります。
 大津美子の「東京アンナ」(渡久地政信作曲=1955年)や、松山恵子の「お別れ公衆電話」(袴田宗孝作曲=1959年)もヒットしました。
 「男のブルース」(山口俊郎作曲=1956年)男のブルース/夜霧の滑走路は三船浩の低音の魅力を引き出しました。ちなみに芸名の三船は、彼自身が柔道有段者で講道館の三船久蔵十段から命名したそうです。フランク永井、神戸一郎、石原裕次郎とともに低音ブームを巻き起こしました。
 ♪ネオンが巷(まち)に まぶしかろうと
  胸は谷間だ 風も吹く
 1964年の新川二郎の「東京の灯よいつまでも」(佐伯としを作曲)東京の灯よいつまでも/君を慕いて/おれの日本海もいいですな。
 ♪雨の外苑 夜霧の日比谷
  今日もこの目に やさしく浮かぶ
「おんな船頭唄」から作詞家・藤間哲郎への温故“痴”新サーフィンでした。

0 件のコメント: