2010年3月30日火曜日

三國連太郎と木下恵介

「こころの遺伝子」:ちょいmemo

 1950年(昭和25年)敗戦の影を落とす日本――中国から引き揚げ者、佐藤政雄は路頭に迷っていた。空腹を抱え銀座の三十間堀を眺めていると、見知らぬ男に声をかけられた。
「お兄ちゃん、映画に出てみないか?」
 松竹のプロデューサー小出孝だった。
「飯だけ食わせてくれるなら……」と応じると、翌日オーデションのため辻堂まで連れていかれた。そこは木下惠介の邸宅だった。木下は当時すでに黒澤明と人気を二分する映画監督だった。
 佐藤政雄をひと目で気に入った木下は映画「善魔」の主演を即決した。
「善魔」には、三國連太郎という新聞記者が登場する。

×  ×  ×

 ご推察の通り。佐藤政雄はのちの三國連太郎である。こんな偶然の出会いで映画俳優・三國は生まれたのだった。彼はデビュー作の役名を芸名とした。
 素人の三國に木下は「自分の好きなようにやりなさい」と、ことさら演技指導はしなかったという。その「好きなように……」が、以来役者三國のバックボーンになったという話が、3月29日から始まったNHK「こころの遺伝子―あなたがいたから―」で語られていた。司会は西田敏行。二人は映画「釣りバカ」のコンビ。三國のゲストは、新番組の第1回に向けてのサービス人選だろう。
 ちなみに次回ゲストは久本雅美。

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 さらに番組で目を惹いたのは、木下忠司(ただし)が登場して兄の恵介を語っていたことだった。久々に聞く名前だった。忠司はテレビ番組の「水戸黄門」の主題歌を手掛けた作曲家である。
 例のあれだ。
 ♪人生楽ありゃ 苦もあるさ
  涙のあとには 虹も出る
「あヽ人生に涙あり」。作詞は山上路夫。

 映画「喜びも悲しみも幾歳月」は1957年(昭和32年)松竹で木下惠介監督が撮った。灯台守の夫婦役は佐田啓二と高峰秀子だった。主題歌は若山彰が歌いヒットした。その作詞・作曲は木下忠司であった。
 ♪俺ら岬の 灯台守は
  妻と二人で 沖行く船の
  無事を祈って 灯をかざす
 今でも若山彰の声量を生かした朗々とした歌声が耳に残っている。

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