2016年9月4日日曜日

狩野永徳の障壁画:大徳寺聚光院

*狩野永徳+伊藤若冲+川床料理__
1日1館ゆったり日程の美術鑑賞と、
美味に旨い酒を愉しんだ京都の夏旅。
至福のとき。余は満足じゃ ^_^)   ×    ×  




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「大徳寺聚光院 創建450年記念 特別公開」
@大徳寺聚光院(京都市北区紫野大徳寺町58)
開催=2016年3月1日ー2017年3月26日

京都国立博物館に寄託していた狩野永徳と父・松栄の障壁画46面(すべて国宝)が修復され里帰り特別公開されている。

審美眼はからっきしない。だからブランドに弱い。国宝となれば、重要文化財より格上のピカイチだ。ありがたいシロモノに決まっている。JR東海のCMも魅惑的だ。花より団子のくちで、鴨川の川床料理を愉しむ旅の予定だが、ついでに観たいと思った。ネットで拝観の予約をして出かけた。

障壁画(襖絵)は予想より小ぶりだ。
狩野永徳24歳の作品という。
松の幹や枝の筆使いに若さというか力感を感じました。

・狩野永徳(かのう・えいとく=1543~1590)
安土桃山時代の画家。名は州信(くにのぶ)。松栄(直信)の子。祖父元信の期待を一身に受け、早くから画才を発揮。織田信長・豊臣秀吉に仕え、安土城・大坂城・聚楽第(じゅらくだい)などの障壁画に筆をふるった。豪壮華麗な桃山障壁画様式を確立し、また狩野派全盛の基礎をつくった__デジタル大辞泉の解説

現代の日本画の千住博の障壁画が目に鮮やかでした。群青と白の世界が広がっていました。「滝」というタイトルだそうです。マイナスイオンが漂っていると錯覚しましたよ。

京都の禅刹、大徳寺聚光院は、1566年戦国武将の三好義継が義父の長慶の菩提を弔うために創建されて、今年が450年にあたる。聚光院は千利休の菩提寺であり、利休の流れをくむ茶道三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の歴代墓所となっているそうです。

拙ブログ関連
「長谷川等伯展」国立博物館 2010/03/19

2016年9月1日観覧
美博の館

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